シェークスピアの言葉に次のようなものがあります。
『All the world’s a stage,
And all the men and women merely players』
(すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。)
(この世は舞台、人はみな役者である)
(人はみな世界という舞台で演じる役者にすぎない)
ご存知の方も多いでしょう。
高校時代にこの言葉に触れたときには”役者”が何を指しているのかよく分からなかったのですが、それから歳を経て3年くらい前に再びこの言葉に触れた時には自分なりに納得するものがありました。
しかし、昨年から演技の練習をするようになってみて改めて自分なりに思うことがあったのでシェアしてみたいと思います。
その前におことわりとして、この言葉の訳や解釈には幾つか意見の相違があるようですので、あくまでも”僕なり”の解釈に準じるものであることをご了承下さい。
『人はみな役者にすぎない・・・』
あらためまして、”役者”ってどういうことなのでしょうか?
単純な疑問だと思いますが、何かを演じる人のことを”役者”と呼ぶのですから、つまり”人はみな何かを演じているにすぎない・・・”というわけですよね。
では”人”とはどの人を指しているのでしょうか?
これに関しては、当時の舞台を見に来ていた観客を含む”その場にいた人”という解釈があるようですが、僕はこれを単純に、この世界で生きるすべての人を指していると解釈しました。
そうするとこの文章は「すべての人は、日常生活の中で何かを演じながら暮らしている」という解釈ができます。
さあ、どうでしょうか・・・。人はみんな何かを「演じながら」生きているのでしょうか?
なかなか難しいテーマですが、幸か不幸か、「演じながら生きている」人の割合は相当多いのじゃないかと思います。
悲しいように見せたり、怒っているように見せたり、誰かの気を惹くために大袈裟に演じて自分を表現しながら生きているほうが多くはないでしょうか?
あるいは、外で色々あっても、家ではまるで何もなかったかのように平静を繕うことはお手の物ではないでしょうか?
もっと言えば、自己評価を高めるために背伸びをして演じていることだってあるでしょう。
そうではないですか?
一体全体、演じていない”素の自分”とはどこにいるのでしょうか?演じることを止めたら、自分はどんな人間になるのでしょうか?演じるのは良い事なのでしょうか?それとも悪い事なのでしょうか?
さて、話がちょっと変わりますが、僕自身が演技の練習を始めて分かったことがあります。それは”演じる”ということの難しさです。
例えば他人を演じるためには他人に成り切らなければいけませんが、それがなかなかできないのです。他人の人生を想像して、その中に自分を当てはめていくような作業しか今の僕にはできないのですが、それが難しくて、もがき苦しみます。
あるいは何かを演じようとするとき、細かいところでこれはどうやっていただろうかと、あらためてその何かを見つめ直してみないと、自然には絶対にできないのです。
こんな風に、あらためて演じるとなるとそれは至極難しいのに、日常の中で何かを演じるのは当たり前のようになっている自分がいます。
日常生活の中では、どんなプロの役者よりも”役者”なのです。
みなさまは如何ですか?
あらためてシェークスピアの言葉を振り返ってみます。
『人はみな、人生という舞台で演じる役者にすぎない』
最後の”すぎない”という表現をあえてつけたその真意がまだ分かりませんが、人生というものが舞台であり、自分がそこで演じる役者であるならば、自分の演じたいように、成りたいように生きるのも一つの道ではないかと思います。思うに、監督も演出家も、すべては自分自身なのでしょうから・・・
そしてまた、演じないで生きるという選択肢も当然あるでしょう。それは恐らく、感性のままにワクワクすることを選んでいく生き方ではないかと思います。
この生き方も決して楽な生き方ではないと思います。何故なら、周囲とのギャップが生まれるからです。
どちらの生き方を選ぶかは自分次第。二刀流で両方交えながらの生き方もありだと思います。
自分の感性のままには選択できないときはいっぱいあります。そういうときには、役者として演じてみるのもいいかも知れません。
その場合、せっかく演じるのですから、役者であることを楽しんでみる!
これならば、ちょっとは気持ちが楽になりそうではないですか?
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