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生かされる自分

19495公演に向けて、あらためて生命(いのち)について考えてみる。

今日、こうして生きている自分。
よくよく考えたら、自分が生きてるのじゃなくて、他のものによって生かされている自分。

例えば朝食に食べたお米や昨夜の夕食の豚肉が僕の中でうまい具合に変換されて、僕という人間を作る細胞の幾つかになったり、僕を動かすエネルギーになってくれたりしている。
太陽も空気も、あるいは大地や宇宙のエネルギーも、みんなが僕の中でうまい具合に、自分が知らないうちに混じり合って、僕という魂をこの世に存在たらしめるように形を成して”今”を作り出している。

よくよく考えたら、その中に自分なんてものはないのじゃないかな。
自分というのは他のものの寄せ集めであって、いろんなものが合体して、自分だと認識しているこの体を生かしてくれているのかな。

この前の夕食で食べたシャケ。
すごくおいしかったけど、あのシャケは何処かの海で何処かの漁師さんに捕まって、いろんな人の手を介して僕の食卓まで届いて僕の腹の中に収まったけど、あのシャケは一体どんな気持ちだっただろうか・・・

あのシャケは嫌々ながら捕まっただろうか。あのシャケの生命(いのち)はもっともっと長らえているべきだったのだろうか。漁師さんに捕まったシャケは可哀想なのだろうか。

その答えは僕の中にあると思う。
僕があのシャケの変わり果てた姿として、今ここにある大海原を威勢良く泳ぐなら、あのシャケはきっと満足してくれるに違いない。
もしそうなら、あのシャケの生命(いのち)は間違いなく僕の中で行き続けているに違いない。
あのシャケは、僕という人間を生かすために愛を持って僕の元へ来てくれたのだ。
それは犠牲ではなく、シャケの愛に違いない。

そんなシャケの生命(いのち)を無駄にしないように、僕はこの公演をしっかりとやり遂げたいと、そんな風に思うのだ。
それがあのシャケに対する恩返し。
あのお米や豚肉に対する恩返し。
“今”をしっかりと生きることが、全てのものに対する恩返しじゃないのかな。

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