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言葉の重さ

pla039私事で恐縮ですが、今年の春から小さな小さな劇団に入りまして、まぁ、何と言いましょうか、ちょこっと芝居じみたことを始めるようになりまして、早7か月が過ぎました。

興味本位で始めたものの、あらららら・・・と思ってる間に公演が決定し、日取りが具体的に決まってしまいまして・・・(苦笑)
いずれ近いうちに皆さまにご紹介・ご招待させて頂きたいと思っておりますが、まぁそれは横に置いておいて、今日は”気づき”をシェアしたいと思います。

与えられた役柄を演じるためには台本の中の人物に成り切らなければいけないのですが、そうしようとすれば、その人物のすべてを知り尽くして、その人物を具体的に想像して、その人物そのものになって、その人物の言葉で話さなければいけない、ということがここに来てようやく分かってきたのは良いのですが、自分の発するセリフの何と”平たい”こと・・・(汗)

たった一言のセリフの中にもその人物の歴史があり、たった一言発する言葉が、全人格を表現するのだと、いま改めて骨身に沁みております。
こんなにも言葉の重さを感じたことが今までに果たしてあっただろうかと、そんなことを感じさせられている今日この頃です。

これは稽古の中だけの事ではないし、舞台の上だけの事でもありません。
日常の生活の中で、仕事の中で、あらゆる場面で、自分の発する言葉が具体的に形となってこの世界に創造され、誰かの耳に、誰かの心に届くことになる、と考えてみた時・・・。

気持ちがこもっていない言葉を吐くのは簡単です。適当にしていればいいだけですから。けれどそれは日常の中ではただの「演技」でしかありません。
それが例え喜びでも怒りでも悲しみでも、あるいは愛情であったとしても、気持ちが入った言葉には歴史が、そしてその人の魂がこもっています。
その魂が誰かの心に届くから、人はその言葉に心を動かされるのだと思うのです。

けれど、表面的に繕った言葉は気の利いたBGMにすらならないのではないでしょうか。ともすると人を傷つけることにもなってしまい兼ねません。

「言霊」とはまさしくこういうことを言うのでしょう。
僕のキネシオロジーのセッションでは時々この「言霊」を使うことがありますが、まだまだ浅はかだったなと、いまにして思えば反省の気持ちでいっぱいです。

社会性の中では、否が応にも言葉をクリエートしなければいけないのですから、どうせなら美しい言葉を創り出していきたいと、そんな気づきを改めてもたらしてくれた貴重な経験に感謝の気持ちでいっぱいです。

記事作成:2013/11/09

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